天徳寺について

天徳寺の歴史

天徳寺について

萬年山天徳寺は、天文8(1538)年に開創されたと伝えられる曹洞宗のお寺です。もとは鳥取市の湯山にあった多年山城福寺という名前の天台宗のお寺で、鳥取県東部の山岳仏教を代表するお寺、妙見山摩尼寺の塔頭(同じ寺域内にある小寺院)の一つでした。このお寺に梅萼永麘(ばいがく えいとん)という和尚様が入って曹洞宗へ改宗、約10年後に現在の湯所に移動し、天徳寺に改称したといわれています。

爾来450年以上の時間を、33代の住職が継承し、この鳥取湯所の地に根付いてきました。「天徳」とは古代中国の『易経』に「天徳は首となるべからず」とあり、強力な力で頭に立つのではなく、柔和に勤めよという意味があります。柔和につとめることで、その歴史が「萬年」に続くことが祈念された名前であるのでしょう。

江戸時代から昭和30年代まで、修行道場として僧侶の養成にも努められ、昭和初期には第30代太田慶道住職が主宰する「私立中学天徳学院」という主に僧侶を対象にした中学校でもありました。しかし明治39年と昭和27年の2回、火事にみまわれ、特に昭和27年の鳥取大火では赤門を残して伽藍が全焼、太田方丈は庫裡を再建するもそこで亡くなり、天徳寺は長い復興の時期を迎えることになります。

この復興に携わったのは、第31代宮川敬道住職・第32代宮川敬學住職、そして現在の第33代宮川敬之住職です。鳥取県庁前にあった旧武徳殿の建物を移築して本堂を再建(昭和46年)、本堂の屋根替え(昭和56年)、客殿と大東司〔便所〕の再建(昭和63年)、本堂・庫裡の大規模改修と鐘楼門再建(平成28年)などを経て、現在のすがたに復興したのです。この復興は、お寺とお檀家さんが一丸となって支えてきたその証です。

住職挨拶

人の生きる世界はいつの時代も変わらないものがあると思います。それは「人生」、つまり「人の生き死に」について考えることです。それについて一定の答えはありません。なぜなら、それぞれの人生における疑問もまた人それぞれであり、自分で納得する答えを見つける以外にないからです。そのためには、自分の内側に目を向けることが大切です。

また、お寺は、お檀家さんにとって家族の系譜を受け継ぐ場所でもあります。ご先祖様を大切にし、その中で自分が生かされていることを感じることにもなるでしょうし、それは次の世代へと受け継がれていくものです。お寺としてきちんとそれを伝え残していく役割も果たしていきたいと思っています。

天徳寺がみなさんにとってそのような場になるよう、わたしは日々、曹洞宗を開いた道元禅師の著作を丁寧に読み、坐禅に取り組んでいます。もちろんあまり肩ひじを張っても続きませんし、気難しく考えるばかりが仏教ではありません。私自身、大好きなコーヒーと読書を楽しむ中で、不意に道元禅師の教えが理解できる時もあったりします。

仏教とは、日常の中に在るもの。毎日の暮らしにどう向き合うかは、つまり自分自身の生き方にどう向き合うかであり、そこに仏教の教えがあります。そんなに敷居が高いものではなく、時には楽しい催しで和気藹々と過ごすことも、時にはそっと「人生」に寄り添うこともできます。お寺はいつも人々の暮らしに近いものでありたいと思います。

第33代住職 宮川敬之