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2026.08.28 お悩み相談
【子どもとチャットGPT】
【質問】
子どもが勉強をするときに、チャッピーに質問をしてすぐに答えを聞いたりしています。便利な反面、それで大丈夫なのかなと思ったりもします。これも時代の流れでしょうか。「自分」の考えがどこかに消えてしまうような、そんな不安感があります。
【回答】
ご質問ありがとうございます。なるほど「チャッピー」ですか・・・。チャットGPTのことですよね。宿題のときにパソコン上の「チャッピー」にすぐ質問して、その答えを書くというのは、きわめて現代風な勉強の光景ですね。でも、それがこれからの勉強なのでしょうね。
すべての技術がそうであるように、「チャッピー」も使い方次第だと思います。たとえば答えが一つに決まっている数学の計算式の答えや、あるいは歴史の年号、歴史的事件、科学的知識などでは、「チャッピー」に訊くのは、便利であり有効でもあるしょう。それは言ってみれば、瞬時に返答してくれる辞書や百科事典を持っているようなものですから(しかも毎日最新の知識に更新される理想的なものです!)便利さはこの上ありません。紙の辞書や辞典をムシムシと引きながら時間をかけて答えを探そうとすることは、もはや必要ないのかもしれません。けれども、それは単純なことがらについてです。解釈がいろいろできる場合には、私には「チャッピー」の答えはあまり有効だとは思えません。
「チャッピー」の答えにないものとは、「責任」です。「チャッピー」のまちがいには「責任」を問うことができません。「チャッピー」は、まちがいから起こった混乱を収めませんし、まちがいからの損失を補填しません。まったくの無責任です。結局は、提供する解釈を虚偽かどうか確かめなかった、あるいは提供する解釈を鵜呑みにして他の解釈を探らなかった使用者自身が「責任」を問われることになるのです。「チャッピー」の回答には「責任」がない。質問者さんが感じる「不安感」とは、ここに起因しているように思います。
「チャッピー」の回答は選択肢を与えてくれているだけだ、と知っておくことが大事だと思います。実際の判断には「責任」が伴います。そして「責任」を持とうとする場合には、自分の考えでもって調べ、いろいろな可能性を考え、もっとも妥当なものを自分で判断して、それを公共の場に提示しなければなりません。つまり「努力」が必要となります。
こうした「努力」をともなう「責任」は面倒ですし、引き受けたくはありません。けれども「努力」を伴った「責任」によって語られる知識や解釈だけが、聞くひとに「尊敬」や「感動」を与えてくれるように思います。それは知識や解釈が、一人の人間の血肉となって立ち上がっているさまを見るからです。
ぜひ、実際の人間から直接お話を聞き、あるいは公刊された書籍を読むことで、子どもさんが「責任」と「努力」、「尊敬」と「感動」に出会われるよう願っています。
2026.07.30 台所手帖
「おてら薬膳」はじめます!

みなさまこんにちは。暑い夏を迎えています。涼を求めて山や川、海に出て一息つきたいですね。ただ木陰に座って涼むときにも、幸せと思うこの頃です。
この原稿は二十四節気七十二候の「小暑」の次候「蓮始開(はすはじめてひらく)」ときに記しています。お寺の裏玄関の蓮の鉢には残念ながら栄養不足なのか花芽はありません。昔は城跡のお堀に蓮が沢山あって、早朝散歩していたら「ぽんっ」という蓮の開く音を聞くことができたとお伺いしています。蓮の開く音、聞いてみたいです。
インスタグラムを始め、お寺の行事や季節の頂いた食材をひっそりお送りしています。和歌山「三宝寺」のともちゃんや西福寺の公望和尚の発信も興味深く、時々リツイートしています。お寺の行事や、「蛇が出た!」とか「御詠歌の様子」「消しゴムハンコの驚きの作品」「お袈裟を縫う会のこと」など普段の様子が手元に届くことも大変嬉しく、天徳寺だけでないお寺の生活がみなさまの日常にお役に立てばいいなと思っています。
私は料理上手で信心深かった祖母、母の影響でお料理が好きです。しかし美味しい料理が上手なわけではありません。美味しい料理は作れる方にお任せして、私は、いまの身体を養う、野菜を使った養生料理をお伝えします。少しでもみなさまの心とカラダの調子が整いますように。
9月から、月に一回行われている坐禅会の日のお昼に「おてら薬膳」としてその月の点心のご提供を計画しています。点心といえば、中華料理かなと思われるかも知れませんが、そうではありません。茶道文化において茶会が催される場合に、お弁当のような軽食が用意される場合があります。その様式には点心、松花堂弁当、茶懐石など、ボリュームや約束に違いがあります。茶道は室町時代から続くおもてなしの神髄ですが、決してお茶、お抹茶を点てるだけではない衣食住をひっくるめた総合文化なのです。茶葉が貴重で薬でもあった当時、空腹に抹茶を頂くのではなくて、よりおいしくお抹茶を頂く為にお料理をおなかに入れておくというのが本意のようです。点心はその中でお弁当より軽やかで、大人数のお茶会に対応することができるスタイルです。
今号は文月の点心。七夕によせて「おなかの調子を整えて身体の中から余分な熱を取り除き潤う献立」でした。作り方の気になるものがありましたら、メッセージください。9月の「おてら薬膳」についての詳細は、HPまたは「天月草木舎」のインスタグラムにてお知らせいたします。お楽しみにお待ちいただけますと幸いです。
【文月の点心】(メニューは左上より時計回り)
・蒸し野菜(椎茸、かぼちゃ、人参、長芋など)
・おから団子とどくだみの天ぷら
・茄子の生姜煮
・金針菜、トマト、枝豆、西瓜の皮
・冬瓜とオクラの味噌すまし汁
・はと麦茶飯
・短冊豆腐
・漬物
2026.04.05
【質問】「安定」か「冒険」か
【質問】
10年間同じ会社で仕事をしてきましたが、30代半ばに近づき、自分自身の今後を考えることが増えました。今の職場は勤務体系や会社の雰囲気も悪くはなく働きやすい環境で、給与面でも安定しています。ただ、以前から興味があることがあり、それが仕事としてうまくいくかはわかりませんが、会社員を辞めてそれを仕事にしてみたいという思いがあります。もともと自分に自信がある方でもなく、これまでの人生でどちらかといえば自分の意見で物事を選択してきたことも少ないので、自分の中に浮かんだ思いに対して、自信が持てません。このような自分にはやはりそのような「冒険」は難しいのかもしれませんが、その挑戦の先にある「将来こうなったらいいな」という思いがどうしても頭に浮かびます。一歩が踏み出せない自分に、アドバイスを頂ければ幸いです。
【回答】
ご質問ありがとうございます。なるほど、「安定」か「冒険」か、ですか・・・。ちょっと乱暴なことを言いますが、一つの参考として聞いてください。
身もふたもない言い方になってしまいますが、「安定」か「冒険」かと迷っていらっしゃる以上、「冒険」はおやめになるほうがよいと思います。「安定」を捨てるのはリスクが大きすぎます。そもそも、このように理性的に迷っていられるというのは、「安定」を土台にして、そのうえでいろいろと想像しているということです。そのような場合、「安定」は生活の土台をなすきわめて重要なもので、投げ捨てるべきではありません。「冒険」は趣味や想像の範囲でたのしまれるべきだと思います。
しかし、人生にはそのような理性的な計算、判断がつかなくなるときがあります。どうしてもやってみたい、だれが反対しようが、どうなろうが、これまでのすべてを捨てさってもこっちをやる、という熱狂的な思いが膨れ上がったとき、どうするか。こうしたときには、もはや理性的な判断はききません。またたぶん、だれにどれほど止められようと、おそらくはやめられもしません。自分でもよくわからないまま、新たな道にとびこんでしまうことになるのです。そのように、新たな道へ行く場合には、理性的な判断とはべつのありさまが働いてしまうことが多いのです。
おもしろいことに道元禅師も似たようなことを言われていて、僧侶としての修行とは「道に礙(さ)えらるる」ことだと言われています。「礙えらるる」とは文字通りには障害物となる、ということですが、それはその道が自分の目の前に立ちふさがり、他の生き方へと逸れさせないことをいいます。つまり僧侶としての修行とは、理性的に判断して入るものではなく、やむにやまれぬどうしようもないかたちで、それ以外にはないかたちで、入ってしまうのだということです。これは新しい道に入るときの、わけのわからないありさまをよく表しているように思います。もし、質問者さんがこのようなわけのわからない熱狂に襲われた場合、もはやその道を進むしかありません。だれのアドバイスも聞かないでしょうし、必要ともしないでしょう。先も見えない、イバラの道であろうと、進むしかないのです。当然「安定」などありません。困難ばかりでしょう。けれども、「幸せ」ではあるかもしれない。苦労もよろこびもひっくるめた、だれとも比較できないあなたの人生を、良くも悪くもあなたは生きることになるからです。よくよく、ご自身の思いに向き合っていただければと思います。
2026.03.30 住職のおすすめ本
保阪 正康『あの戦争は何だったのか』(新潮新書)

第二次世界大戦、太平洋戦争のことは、もう忘れたい。三百万の日本国籍の人間が死に、数百万以上の日本国籍外の人間を殺した経験は、日本はもう、覚えていたくもない。戦後の日本人の多くは、無意識下に、そう思って生活していたと思う。
そうした思いがあったからこそ戦争を学ぶことを、私たちは無意識に拒絶してきた。実際、「失敗」とされる戦争の経緯や構造の概略について、学ぶべきだと思いながらも、私は心の底では知りたくなかった。とはいえ事実として、この戦争を経験し、生き長らえた人々によって、戦後社会は構築されたのだし、さらに戦争で死んだ人々を弔うことが、近代からのこの国の弔いの意味だった。つまりは戦争にまつわる生と死とが、私たちの社会の基幹にあることは、忘れる忘れないとは別に、事実としてあることなのだ。だから最近になってようやく、賛否の念はひとまず置いて、日本の戦争を学びなおさなければならないと私は思うようになった。
保阪正康の本は、こうした学び直しに適切な糸口を与えてくれるものであった。保阪の本では、最初に軍隊の機構の概略が示される。これは、現代のわれわれが知らない機構であり、しかも戦争の駆動の中心となったものだ。この機構の特性から日本の戦争の概略を教えてくれる本は貴重である。
また、戦艦大和轟沈を生き残り、名編『戦艦大和ノ最期』を著し、戦後は日本銀行で日本の復興を荷った吉田満の文集も、保阪の本のあと、あらためて読みなおし、現在も深く学びなおしている(吉田の文集の編集も保阪である)。過去からは逃げられない。過去を学び、それを携えて生きるしかない。おなじように、死者からも逃げられない。死者に学びながら、手を携えて、私たちは生きるしかないのだ。
吉田 満『「戦艦大和」と戦後』(ちくま文庫)の写真は、別途掲載いたします。
2026.03.04 台所手帖
開山忌のこと

ご開山さまはもう400年もの間、このお寺をお守りくださっています。新しく仏さまになられた方をお迎えして、一緒にお守りくださっていると思います。何時からかは判りませんが両湯山のお母さん方と、開山忌の前日のお参り(逮夜)と当日(正当)のお振舞いを整えます。去年と今年は、大本山永平寺さまで20年近く雲水(修行僧)の食事を統括しておられた三好良久老師に来ていただき、天徳寺開山忌の典座和尚さまを務めて頂きました。方丈さんの修業の同期(同安居)である、和歌山の三宝寺さまの奥さまの朋子さんも来てくださいました。とても分かりやすく楽しくインスタグラムで三宝寺様のことをご紹介しています。その中に、天徳寺の開山忌のこともしっかり載せてくださっているのでぜひご覧ください。
逮夜のお弁当は、ピーナッツ豆腐、生姜ご飯、漬物、かき揚げ、煮もの(干し椎茸、大根、人参)炒めなます、柿の白和え、旬菊ともやしのお浸し、リンゴと柿でした。当日は、ほうじ茶で焚く茶飯とつぎ汁、豆味噌で頂く野菜の煮物を約100食ご準備しました。逮夜の準備は一日がかりなので、お昼はまかないにカレーを作ります。今日はその精進カレーをご紹介します。
【開山忌のまかないカレー】
材料:野菜(ジャガイモ、ニンジン、タマネギなど)、しめじなどキノコ類、油あげ、厚揚げ、こんにゃく、ココナッツミルク スパイス(クミン、マスタードシード、カルダモン)→なくてもよい
作り方
①こんにゃくを茹でて、はしなど穴を開けながらちぎる。
②野菜を炒める。(ジャガイモ、ニンジンを入れるなら先に炒めて火を通す)
③スパイスを油で熱して香りを出し、こんにゃく、きのこ類、油揚げを加えて炒める。
④ココナッツミルクと水で水分を調整し厚揚げを入れてルーなどで味を調える。
三好老師は厚揚げを入れるタイミングをとても気にしておられました。水分を入れてから、とのことです。崩れないようにとのご配慮ですね。ぜひトライしてみてください。