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2021.09.01 住職のおすすめ本

「菌の声を聴け」 ミシマ社

「菌の声を聴け」 ミシマ社

「菌の声を聴け」ミシマ社
渡邉 格・麻里子 著

 こんな話がある。ある老僧が言った。「虚空を掴むことを知っているかい」僧が応える。「知ってますとも」「やってごらん」僧は手で空中を掴む動作をした。老僧「ああ、おまえはやっぱりわかってない」僧「じゃあ、どうやって掴むのですか」老僧は突然、僧の鼻をつまんで力任せに引っ張った。「いたたたた!鼻が取れてしまうじゃないですか!」老僧「そうそう、そうやって掴むのだ」。道元禅師の『正法眼蔵』「虚空」巻に見える話である。

 渡邉夫妻の近著である『菌の声を聴け』を読んで、しきりにこの話を思い出した。夫妻は鳥取県智頭町で、野生の菌で発酵させてパン・ビールを作るお店「タルマーリー」を経営している。本書はパンとビールを作る過程を描きながら、夫妻自身の人生の反省と再生譚とも、会社の移転成功譚とも、社会変革の提案実践とも読める多視角的な本となっていて、非常に面白い。私は特にこの本を、「菌活」(渡邉氏の造語)という実践に根差した、一種の仏教的実践書として読んだ。

 たとえば次の箇所。「野生の菌による発酵は曖昧で動的だ。・・・動的なモノ作りにおいて職人は、日々現象を観察して経験を蓄積し、全体の関係性の中から直観的に最適解を導いていく。・・・すると職人は、大事な素材と一体化して作るモノを自分の分身みたいに感じるようになる」(86~87頁)。野生の菌を降ろして発酵を行おうとする場合、菌と職人というバラバラの個別なものの足し算ではなく、すべてがつながった大きな全体的環境のなかで、環境の一部としての菌を、環境の一部である職人が扱うという状況に自覚せざるを得ない。このことは結果として、職人自身をも含まれる全体の一部として、自分自身としての発酵を扱うということになる、というのである。さきほどの「虚空を掴む」話では、虚空とはさとりのことだが、僧は虚空を、自分とは別の、掴むことができる対象だと思っていた。しかし、虚空=さとりとは、僧自身をも含む世界全体のことであって、虚空を掴む(さとりを開く)とは、全体とのつながりのなかで存在する自分を掴むことだ。だから老僧は、自分自身を動的に、実践的にとらえてこそ、「虚空を掴む」としれ、と言ったのである。この逸話はそうした意味で、渡邉夫妻の発酵の実践(「菌活」)と照らしあう話であるように思っている。

 本書ではまた、「発酵を取り巻く環境は、単純な「因果」ではなく、複雑な「縁起」で捉えるべき世界だろうと思う」(85~86頁)とも言われ、『般若経』の「空(くう)」の教えや、「禅」の修行の要諦と照応する言葉も見える(巻末の参照文献では仏教学者梶山雄一氏の本も見えている)。こうした仏教と照応する知見が、モノづくり、地方からの生活スタイルの見直しに直結しているのを見るのは新鮮な驚きである。実は渡邉さんのお子さんは、智頭の森のようちえん「まるたんぼう」で私の息子の二年上のお兄さんだった。「タルマーリー」のチーズのパンが好みで、一家でよく食べている。お近くに優れた理論家=実践家がいらっしゃることはとてもたのもしい。

2021.07.01 住職のおすすめ本

「子どもの話にどんな返事をしてますか?」 草思社

「子どもの話にどんな返事をしてますか?」 草思社

「子どもの話にどんな返事をしてますか?」 草思社
ハイム・G・ギノット 菅 靖彦訳

子育てはつくづく難しい。子どもは、こちらが思うようには決してなってはくれず、すねるし、怒るし、泣くし、あばれる。どうやってコントロールしようかと考える親の思いを常に裏切ってゆく。今、問題になっている多くの虐待事件や、親への暴力事件は、そもそもこうした親子間の日々のすれちがいが積み重なってエスカレートしてきたもののように思える。それは、親と子どもの双方に大きな負担を強いる。ではそのような、双方に不幸をもたらすすれ違いが起こらないようにするにはどうすればよいか。本書を読んで、わたしは大げさでなく、子どもへの言葉の使い方が180度変わった。

 本書は「はじめに」で、次のように言う。「子どもを傷つけるような対応の仕方をするのは底意地の悪い親だけだとわたしたちは思いがちである。だが、不幸なことに、そうではない。愛情豊かで、善意の心をもった親も、責める、辱める、非難する、あざける、脅す、金品で買収する、レッテルを貼る、罰する、説教する、道徳をおしつける、ということをひんぱんにしている。なぜだろう?たいていの親は、言葉がもつ破壊的な力に気づいていないからだ。親たちは、気づくと、自分が親から言われたことを子どもたちに言っている。自分の嫌いな口調で、言うつもりのなかったことを言っているのだ。

そのようなコミュニケーションの悲劇は、思いやりに欠けているからではなく、理解不足に起因していることが多い。親は子どもたちとのかかわりで、特別なコミュニケーションのスキルを必要とする」。この箇所を読んで、ギクッとしない親は、多分いないだろう。それぞれ多かれ少なかれ思い当たるところがあるからだ。

では、このような悲劇に陥らないコミュニケーションのスキルを、どのように身につければよいか。親たちはともすれば、子どものふるまいとともに、その気持ちも批判し、制限してしまおうとする。しかし、私たちもそうだが、子どもの気持ちは、外から強制的に変えられるようなものではないのだ。ふるまいと共に気持ちまで批判すれば、子どもたちは「自分はわかってもらえていない」と思うだけだろう。だから、気持ちは全面的に受け止め、行為だけはその場面に応じて制限をかける、という、寛容さと冷静さとが親には必要なのだ。さらに、それは抽象的な机上の教育論としてではなく、子どもに言葉をかけるときに、カッとなって批判したり、詰問したり、皮肉を言ったりことのかわりに、気持ちを全面的に受け止める言葉と、彼らの行為を明確に制限する言葉を発するようにするという、実践の問題としてあるのである。ここにスキルが必要なのである。

 本書には、実際の場面における話し方の実例が多数挙げられ、読むことで自然とスキルが上げられるように工夫されている。子どもに対するこのコミュニケーションのスキルは、どのような世代の人々に対しても有効であり、私たちは本書を読むことによって、いわば対人関係の基礎スキルを学ぶことができるわけなのだ。育児に悩むご家庭のみならず、あらゆる世代に強くおすすめする本である。