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2023.11.25 お寺のあれこれ
お寺のあれこれ(応量器)
お寺のあれこれ(応量器)
京都には、「鉄鉢料理(てっぱつりょうり)」といわれるお料理を出すお店があります。黒い漆塗りの円い容器が大小いくつもならんで、そこにお野菜だけで作られた精進料理が盛り付けられているものです。テレビや雑誌などでご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この「鉢」とよばれる漆塗りの黒い器は、そもそもは、お坊さんが托鉢をして、檀家さんから食物をその中に入れていただき、そこから食事をするための器です。現在でも南方の仏教国では、金属製の大きいボールをもって毎朝お坊さんが列をつくって托鉢しますが、その「金属製のボール」もこの「鉢」と同じものです。日本では木製の塗りの器を使うのが定着しています。
この「鉢」は別名、「応量器(おうりょうき)」とも呼ばれます。「応量器」とは、「ほしいだけの量に応じていただく器」という意味です。仏教のお坊さんはお坊さんになるときに、お師匠様からこの「応量器」を各自の備品として使うように頂戴し、生涯大事にします。日本の応量器は、大きな器は「頭鉢(ずはつ)」と呼ばれ、そのなかに小さめの器がいくつも入れ子状にしまわれています。食事の際には、この頭鉢から小さな器をすべて出して並べ、頭鉢にはお粥やごはん、小さな器には味噌汁やおかず、漬物をいれてもらいます。
曹洞宗の祖である道元禅師(1200-1253)は、こうした応量器の扱いについてのお作法を記した『赴粥飯法(ふくしゅくはんぽう)』という著作をあらわされました。そこでは、「食において好き嫌いをなくすと、仏法においてもさとりが開ける」という精神が掲げられ、実践の手引きとされています。高い精神性と具体的なお食事のひとつひとつがつなげられて、示されている、世界にも類がない本となっています。
坐禅堂では坐禅の姿勢で食事も頂きます。そのときに使われるのが「応量器」です。ほしいものはたくさん食べたい、嫌いなものはたべたくない、自分勝手にたべたい、という心を抑えて、作法に準じて、お食事を摂ります。仏教の教えを生きることとは、つまり、そのような高い精神性を、具体的な生活の一つ一つに実現することです。それが曹洞宗の教えであると思います。
2023.04.01 お寺のあれこれ
警策(きょうさく)
警策とは坐禅のときに使われる棒のことで、曹洞宗では「きょうさく」、臨済宗では「けいさく」と呼びます。樫の木で作られていて、全長は80センチから1.2メートルくらいまで様々です。指導者が使うのは、30センチほどの短い警策で「短策」と言います。
坐禅の際、「禅策(ぜんさく)」という係の人がこの警策を持って禅堂を回ります。眠ってしまっている者を起こし、姿勢が悪い者の姿勢を直すのです。曹洞宗で警策を受ける方法はつぎのようです。
1、警策が右肩に触れたら、合掌一礼し、合掌のまま、頭を前方左前に曲げて待ちます。頭を前方左側に向けるのは、耳を避け、肩の筋肉を打ちやすくするためです。
2、一発打たれたら合掌一礼します。
3、坐禅の姿勢に戻ります。
禅策のほうから打つだけでなく、坐禅している者からも、希望者は肩を打ってもらえます。その際は合掌をして待っていると禅策が打ってくれます。臨済宗では両肩を2回ずつ打ちます。しかし曹洞宗では右肩に1回のみ打ちます。曹洞宗の場合は、音を響かせることによって一緒に坐っている者も覚醒できるように、警策の先端部分が平たく薄めに削られています。
なお、よく世間的に、「警策は修行を怠けている者、眠っている者を罰する道具だ」という誤解を受けることがあります。しかし、それはまったくのまちがいです。警策は禅堂中央にすわっていらっしゃる文殊菩薩の手のかわりであり、慈悲の思いでもって叩くものです。おなじ修行者どうし、一生懸命坐禅できるようにと慈悲の願いでもって打ち、受ける者はそれを励ましとして受けているのだと、ご理解ください。なお天徳寺では、通常の坐禅会は原則警策なしで、坐っていただいています。
2023.02.27 お寺のあれこれ
坐禅の用具「坐褥(ざにく)」
先回、坐甫(ざふ)という丸いクッションを紹介しました。
今回はその下に敷く敷物である「坐褥(ざにく)」を紹介します。坐褥とは大型の座布団のことです。ですから単に「布団(ふとん)」とも呼ばれます。
先回紹介しましたように、坐禅では、お尻と両ひざとで三角形をつくって体重をささえます。お尻の下に敷くものが坐甫であり、両ひざの下に敷くものが坐褥です。通常の座布団は正座用としてつくられているため、「あぐら」や「結跏趺坐(けっかふざ:両足先を両腿のうえに組み上げる坐り方)」、「半跏趺坐(はんかふざ:片方の足先だけもう一方の腿のうえに組み上げる坐り方)」をして坐ると、両ひざが座布団のそとにはみ出してしまいます。そこで足を組んでいてもはみ出さないように大型に作られています。なお、臨済宗では、「単布団(たんぶとん)」とよばれて、より大きな敷物を折って使い、寝るときにはそれを開いて敷布団にするそうです。
道元禅師が書かれた『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』「坐禅儀(ざぜんぎ)」には、「かつて釈尊の六年坐禅修行のときにも、ダイヤモンドの上に坐禅し、あるいは大岩の上に坐禅したという故事があるが、これはみな石のうえに草をあつく敷いて坐ったのである(かつて金剛の上に坐し、盤石の上に坐する蹤跡あり、かれらみな草をあるくしきて坐せしなり)」といわれています。お釈迦さまの坐禅にならう私たちは、坐褥をひいて坐禅をすべきなのだ、と言われているのです。
短時間坐禅するのであれば坐褥がなくてもあまり関係がありませんが、長時間くりかえして坐る場合、坐褥があるかどうかでは、坐り心地に大変な違いがでてきてしまいます。天徳寺禅堂でも、少し前に、30枚ほど坐褥を新調して、より快適に坐禅ができるようにしました。ぜひ一度お試しになっていただきたいと思います。
2021.07.01 お寺のあれこれ
お仏壇のお線香は何本たてるのが本当なの?
お檀家さんからよく「お仏壇のお線香は何本立てるのですか?」というご質問があります。「1本、2本、3本と立てられる人によって違っているので、どれが正解か分からない」とお尋ねです。お答えすれば、実はどれも正解なのです。なぜそのように言えるのかご説明しましょう。
まず、お線香1本に火をつけ、お気持ちを込めて香炉(お線香立て)にお立てして、合掌お祈りするというのが大原則です。だから1本が正解。しかし、お線香が短くて、もっとお香の煙を足したいとお考えになると、もう1本をくっつけて2本立てるという場合もあります。だから2本も正解。問題は3本立てる場合です。3本立てるのは、大抵はお坊さんです。夏の棚経などでお仏壇にお参りされているときに、お坊さんはお線香をたいがい3本、ちょうど三角形になるように香炉に立てます。これを見て「ああ、3本あげるんだ」と思われるお檀家さんもいらっしゃいますが、これはお坊さん特有のやり方です。
お坊さんはお参りの前にお寺でもお仏壇でも準備をします。まず掃除をし、位置を整え、お花とお水を新鮮に保ち、お膳を整え、お灯明を灯します。これはみなさんもされると思いますが、お坊さんはさらに、準備が整ったしるしとしてお線香を香炉の端から指一本分離し、左右に1本ずつ立てます。これを「迎え線香」といいます。お仏壇でのお参りでは、すでに掃除などの準備がお檀家さんの家々でなされていますので、お坊さんは「では準備が整いましたね」という意味でお線香を香炉の両端に2本立て、そこから自分の念を込めたお線香を1本中央にあげます。その意味で3本のお線香も正解なのですが、これはお坊さん特有のやり方で、一般檀家さんは1本のお線香を大事にあげられるだけで十分、と覚えておいてくださればよいと思います。
そしてもうひとつ、お寺の抹香でのご焼香の仕方と回数について。ご焼香の仕方は、抹香を右手親指と人差し指でつまんで額まで持ち上げ、心を込めて、香炉の中の炭に落とし、燃やす。これがご焼香のメインです。本来ならこれだけで十分なのですが、お香が炭にうまくあたらず煙が上がらない場合や、煙の量が少ない場合があるので、もう1回予備としてお香を焚きます。(2回目の焼香は、抹香を額まで持ち上げない。)1回目の焼香を「主香(しゅこう)」、「2回目を従香(じゅうこう)」と呼びます。3回のご焼香をされる方もいらっしゃいますが、私(住職)は、ご焼香は2回で十分だと教わりました。そしてご焼香をされたら、必ずお香を手向ける相手に合掌してお祈りしましょう。お香を焚いて合掌礼拝する、というところまでがご焼香です。