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2021.07.01 お悩み相談
【質問】大病が発覚し、どう気持ちを保てばよいでしょうか。

【 質問 】
60代を超え、これまで病気のひとつもしていなかったのですが、大きな病気が見つかりました。今は夫婦で二人暮らしをしていて、子どもたちは都会で仕事をし、家庭を持っています。まだまだ自分は長生きをするものだと思っていたので、突然「死」というものが目の前に姿を現したことに戸惑っています。何かに没頭していると忘れることもあるのですが、不意にそのことを考えてしまい、時には大きな不安に押しつぶされそうになります。前を向かないといけないとは思いつつ、どう向き合っていくのが良いのでしょうか? (60代女性)
【 回答 】
お便りありがとうございます。大きな御病気が見つかられたとのこと、治療もお辛いのではありませんか。毎日、ご不安で、心に重しがのったような御気分ではないかと思います。よく御相談くださいました。直接お話をさせていただきたい気持ちです。書面でのお答えでお許しください。
御相談のお言葉からうかがえますのは、相談者様がとても強い自制心をお持ちの方だろうということです。ご家庭の内でも外でも、いろいろなお役を誠心誠意お勤めでいらっしゃったのではないですか。お嫁さん、お母さん、御夫人、PTAのお役、ご近所付き合い、など、ご家庭でこなす役は多く、さらに働いていらっしゃるならば職場での関係も加わります。そうて築いてこられた役割や立場、重ねた経験がありながらも、突然、想定外の事情が起こることがあります。そのような場合、私たちは混乱しますし、呆然とし、悲嘆のなかに落ち込みます。多分私もそうなります。そのときに「前を向く」というのはとても難しいことですし、必ずしもすぐに必要な道筋ではないような気がします。
相談者様にいま必要なのは、むしろ、丁寧に淹れたお茶一杯を心からおいしいと思えることではないか、と思います。あるいは太陽の光をしみじみ気持ちいいと思えることではないでしょうか。おいしい、気持ちがいい、としみじみ思うことは、「前に向こう」「物事を整理して進もう」と思うことから少し外れます。分別をつけて前進することは、必要と不必要を分けて、不必要を振り切ることです。でも、おいしい、気持ちがいいとしみじみ思うのは、相談者様の身と心が御病気ごと、不安なお気持ちごとそのように感じている、そのことを慈しむことです。そこでは必要と不必要を分けること自体がいらなくなります。無理に前を向こうとせず、おいしいなと思いながら、気持ちがいいなと感じながら、ご自身の体と心をまるごと、御病気ごと、いたわってあげてください。よくやってるな、ありがとう、とご自身の体と心に言ってあげていただきたいと思います。
2021.07.01 台所手帖
夏のお茶を楽しむ

皆様こんにちは!
ちょっと一息つくときには、何を召し上がっていますか?古の昔には、一部の人しか口に入らなかった、お茶も、紅茶もコーヒーも今は、誰もが楽しむことができます。自分の好みや体調に応じて選ぶことができる、幸せな時代です。
季節に応じて、飲み物や食べ物が体調管理に役に立つとしたらよいと思いませんか?
夏、暑い、と思うとついつい冷たいものを口に運んでしまいますね。私は最近、そのせいで胃腸が弱ってしまいました。これではいけないと、日常を見直す今日この頃です。
今回は、もともと体を冷やす作用のある茶葉の水出し、夏にこそお勧めの頂き方をご紹介したいと思います。
典座寮(お寺の台所)には扇風機あるのみ。盛夏には、じっとしていても汗が滴る時期があります。そんな時には、西瓜の皮や冬瓜の皮を干してお茶にして飲んでみたり、炒った小豆や黒豆のお茶を煮出してみたり、と体内から整えてゆきます。(これらは、改めて記します)そんな中でも、冷水で淹れた煎茶は格別です。氷でじっくり抽出することもあります。氷をはやく溶かすために、少しの呼び水(50ccくらい)を加えます。氷が溶けるころには、まろやかなお茶ができています。普段使っているお茶を、違う温度で淹れてみてください。違ったあじわいを楽しむことができます。一煎目、しっかり濾しましょう。二煎目、さてどう頂きましょうか。しっかり開いた茶葉にはまだ旨みがしっかり残っています。続いて水出しでも、お湯で淹れても良し。
玉露など、茶葉を冷水で淹れた後、開いた茶葉をポン酢やお醤油で頂いてみてください。おいしいです。通常でも茶殻には7割もの栄養素が残っているそうです。おひたしにすることもあるし、佃煮にもなります。お茶の葉のチャーハンや、雑炊を出すお店もあるくらいです。お湯に溶け出さない不溶性の食物繊維も摂取できるので、一挙両得ですね。方丈さんの同安吾(修行の同期)の和尚様が静岡におられて、毎年お茶を送ってくださいます。体調管理のために、とのことです。
ありがたいです。
皆さんご存じだとは思いますが、日本茶はお湯の温度によって抽出される成分が変わります。冷水から30度くらいの低い温度ではアミノ酸が多く溶けだし甘みが感じられます。風邪予防になるのは40度以上、中間から高温のお湯でいれたお茶です。カテキンがお湯に溶け出し特有の渋みが出てきます。さらに高温でいれるとカテキンだけでなくカフェインも溶け出し渋み苦みが増します。くれぐれも夜更けに渋くて苦くて濃いお茶を飲むなんてことはなさいませんように。(体温くらいの白湯がよいですね。)
◉お茶を冷水で淹れてみよう!
(作り方)
約1リットルの水に茶葉6gから10gくらいを入れ、20分から3時間くらい冷やします。私は、夜寝る前に茶葉と水の入ったボトルを冷蔵庫に入れておいて翌朝濾していただきます。宵越しのお茶は飲むなと言われていますが、これは、急須に残った使いさしの茶葉を次の日に使わないように、ということで、茶葉に含まれるカテキン、抗菌作用のあるタンニンが溶け出た後、茶葉のたんぱく質の質が落ちることを指摘する言葉だそうです。丁寧に濾した茶葉は青々としています。茶葉を粉砕して、茶葉ごといただくというのもお勧めです。
2021.07.01 お寺のあれこれ
お仏壇のお線香は何本たてるのが本当なの?

お檀家さんからよく「お仏壇のお線香は何本立てるのですか?」というご質問があります。「1本、2本、3本と立てられる人によって違っているので、どれが正解か分からない」とお尋ねです。お答えすれば、実はどれも正解なのです。なぜそのように言えるのかご説明しましょう。
まず、お線香1本に火をつけ、お気持ちを込めて香炉(お線香立て)にお立てして、合掌お祈りするというのが大原則です。だから1本が正解。しかし、お線香が短くて、もっとお香の煙を足したいとお考えになると、もう1本をくっつけて2本立てるという場合もあります。だから2本も正解。問題は3本立てる場合です。3本立てるのは、大抵はお坊さんです。夏の棚経などでお仏壇にお参りされているときに、お坊さんはお線香をたいがい3本、ちょうど三角形になるように香炉に立てます。これを見て「ああ、3本あげるんだ」と思われるお檀家さんもいらっしゃいますが、これはお坊さん特有のやり方です。
お坊さんはお参りの前にお寺でもお仏壇でも準備をします。まず掃除をし、位置を整え、お花とお水を新鮮に保ち、お膳を整え、お灯明を灯します。これはみなさんもされると思いますが、お坊さんはさらに、準備が整ったしるしとしてお線香を香炉の端から指一本分離し、左右に1本ずつ立てます。これを「迎え線香」といいます。お仏壇でのお参りでは、すでに掃除などの準備がお檀家さんの家々でなされていますので、お坊さんは「では準備が整いましたね」という意味でお線香を香炉の両端に2本立て、そこから自分の念を込めたお線香を1本中央にあげます。その意味で3本のお線香も正解なのですが、これはお坊さん特有のやり方で、一般檀家さんは1本のお線香を大事にあげられるだけで十分、と覚えておいてくださればよいと思います。
そしてもうひとつ、お寺の抹香でのご焼香の仕方と回数について。ご焼香の仕方は、抹香を右手親指と人差し指でつまんで額まで持ち上げ、心を込めて、香炉の中の炭に落とし、燃やす。これがご焼香のメインです。本来ならこれだけで十分なのですが、お香が炭にうまくあたらず煙が上がらない場合や、煙の量が少ない場合があるので、もう1回予備としてお香を焚きます。(2回目の焼香は、抹香を額まで持ち上げない。)1回目の焼香を「主香(しゅこう)」、「2回目を従香(じゅうこう)」と呼びます。3回のご焼香をされる方もいらっしゃいますが、私(住職)は、ご焼香は2回で十分だと教わりました。そしてご焼香をされたら、必ずお香を手向ける相手に合掌してお祈りしましょう。お香を焚いて合掌礼拝する、というところまでがご焼香です。
2021.07.01 住職のおすすめ本
「子どもの話にどんな返事をしてますか?」 草思社

「子どもの話にどんな返事をしてますか?」 草思社
ハイム・G・ギノット 菅 靖彦訳
子育てはつくづく難しい。子どもは、こちらが思うようには決してなってはくれず、すねるし、怒るし、泣くし、あばれる。どうやってコントロールしようかと考える親の思いを常に裏切ってゆく。今、問題になっている多くの虐待事件や、親への暴力事件は、そもそもこうした親子間の日々のすれちがいが積み重なってエスカレートしてきたもののように思える。それは、親と子どもの双方に大きな負担を強いる。ではそのような、双方に不幸をもたらすすれ違いが起こらないようにするにはどうすればよいか。本書を読んで、わたしは大げさでなく、子どもへの言葉の使い方が180度変わった。
本書は「はじめに」で、次のように言う。「子どもを傷つけるような対応の仕方をするのは底意地の悪い親だけだとわたしたちは思いがちである。だが、不幸なことに、そうではない。愛情豊かで、善意の心をもった親も、責める、辱める、非難する、あざける、脅す、金品で買収する、レッテルを貼る、罰する、説教する、道徳をおしつける、ということをひんぱんにしている。なぜだろう?たいていの親は、言葉がもつ破壊的な力に気づいていないからだ。親たちは、気づくと、自分が親から言われたことを子どもたちに言っている。自分の嫌いな口調で、言うつもりのなかったことを言っているのだ。
そのようなコミュニケーションの悲劇は、思いやりに欠けているからではなく、理解不足に起因していることが多い。親は子どもたちとのかかわりで、特別なコミュニケーションのスキルを必要とする」。この箇所を読んで、ギクッとしない親は、多分いないだろう。それぞれ多かれ少なかれ思い当たるところがあるからだ。
では、このような悲劇に陥らないコミュニケーションのスキルを、どのように身につければよいか。親たちはともすれば、子どものふるまいとともに、その気持ちも批判し、制限してしまおうとする。しかし、私たちもそうだが、子どもの気持ちは、外から強制的に変えられるようなものではないのだ。ふるまいと共に気持ちまで批判すれば、子どもたちは「自分はわかってもらえていない」と思うだけだろう。だから、気持ちは全面的に受け止め、行為だけはその場面に応じて制限をかける、という、寛容さと冷静さとが親には必要なのだ。さらに、それは抽象的な机上の教育論としてではなく、子どもに言葉をかけるときに、カッとなって批判したり、詰問したり、皮肉を言ったりことのかわりに、気持ちを全面的に受け止める言葉と、彼らの行為を明確に制限する言葉を発するようにするという、実践の問題としてあるのである。ここにスキルが必要なのである。
本書には、実際の場面における話し方の実例が多数挙げられ、読むことで自然とスキルが上げられるように工夫されている。子どもに対するこのコミュニケーションのスキルは、どのような世代の人々に対しても有効であり、私たちは本書を読むことによって、いわば対人関係の基礎スキルを学ぶことができるわけなのだ。育児に悩むご家庭のみならず、あらゆる世代に強くおすすめする本である。